第19話   ハ ゼ 釣 り   平成16年08月18日  

子供の頃、はじめに釣りに出掛け釣ったのはハゼである。身近で最も手軽に釣りに出掛けられるのはなんといっても河口のハゼ釣りであった。海に注ぐ川のない鶴岡では磯の篠野小鯛、クロコ(メジナの幼魚)が子供の頃からの釣りの対象となっているが、酒田では河口のハゼ釣がすべての釣の原点となっている。最上川と新井田川の両河川の河口の汽水域には膨大な砂と泥の堆積がある。その水底にはゴカイやシジミなどが住み、大量のハゼが生息していた。

そして防波堤に出かけると云うことは、大人が大物を釣る人というイメージがあった。それらの人たちも子供の頃はすべてハゼ釣りをして釣の腕を磨いた。子供の時にはハゼ釣、そして大人になるに従って防波堤に行くようになり黒鯛、スズキを狙う様になる。そして年老いて体力が落ちて来るとまたハゼ釣をして楽しんだ。関東の「ヘラに始まりヘラに終わる」とはニュアンスが異なるが原点に戻ると云う点で同じである。ハゼはヘラのような繊細な釣ではない、ヘラ釣のような一本何十万という高級な竿も使わない本当の庶民の釣である。ミミズやゴカイのような安い餌でも、結構釣れた庶民の釣であった。

ハゼを家に持ち帰ると母がいつも面倒だといいながらも唐揚げや佃煮にしてくれた。「魚はカルシュームが豊富だからと食べなさい!」と云って、釣るのが好きだが余り喰いたくも無かった自分にハゼを無理やり骨まで食べさた。ハゼ釣にはそんな思い出がある。ハゼ釣といえば、シーズンに入ると子供から大人まで沢山の人が、釣っていた事を思い出す。しかし、そのハゼを今は誰も釣っている人は誰もいない。

酒田のような田舎にもある日突如として公害が押し寄せてきた。港の中の一部が重金属等で汚染されたことが発覚したからである。海岸地帯にある工場からの重金属等の汚染物質や家庭からの汚濁された大量の排水が川に流されたからである。その上河口がコンクリートですべて覆われてしまった結果、川の自浄化作用を上回ってしまった事が原因である。それまで川をきれいにしていた河口の泥が無くなってしまった。その結果いつしか川底はヘドロに覆われハゼは奇形、皮膚病のハゼが多くなり、ハゼは次第に減少した。だから。ハゼを狙う人もいなくなり、釣れてもすべて捨てていくのでカラスやカモメの餌になっている。

ハゼが悪いのではなくすべて人間が悪い。ハゼのようなことが何時人間に襲い掛かるか分からない。重金属による汚染された魚を食べて起こるべくしておきた水俣病が騒がれた頃は大問題となり随分騒がれたものだが、もうあれから何十年か過ぎた現在ではそんな事はすっかり忘れ去られている。手軽に楽しめたハゼ釣の思い出も、すべて記憶のみ残っているのみである。

日本には神代の昔から「水で身の穢れ(けがれ)をとる」と云って身体を水で洗い清めて来た。そこから「すべてを水に流す」という言葉が生まれた。人間が余りにも簡単に汚れを水に流し続けた結果、水は汚染されてしまった。今では化学物資で消毒された水道水を飲まなくてはならなくなった毎日である。最近全国的に遅まきながら各地方自治体が大規模な浄化設備を作り水の浄化を始めている。一旦汚れた水は中々元には戻らない。自然の浄化作用のみに頼り水を汚し続けてきた人間の罰は、元に戻すとなると巨額の資金と年月を必要としなければならない事である。今から40数年前の春小学唱歌で有名な隅田川を歩いた時、余りの悪臭に驚いた。また、近郊の多摩川の川面に淀んでいる石鹸水にも驚かされた。最近の報道ではそんな河川も少しはきれいになり、きれいな水でなければ住めないとされる魚も少しづつ戻ってきていると云う。

子供の頃に釣ったきれいな水でハゼ釣が楽しめるのは何時になるのだろう?
いつもハゼ釣の季節になると思う事である。安心して飲める水、食べる魚をと思うのは自分だけであろうか?人間が自分で汚したものを自分で改善しなければ安心して次の世代にバトンタッチが出来ない所まで来ている今日この頃である。